(2)の続きです。
《病院到着》
転院先の病院に着く頃には、主人のおかげもあって少し前向きになっていました。
「Rinのことは俺たちに任せて。
安心して大丈夫だからお腹の子たちのことに集中してあげて。」
そう言い続けてくれたパパ。
普段から子どものことは何でも一人でできちゃうパパだったので、
パパがいればRinだって寂しくないと安心できました。
これは日頃から “理想のパパ” でいてくれたパパさんのおかげですね。
病院ではコロナの感染対策として、産科の中にパパたちは入れないことになっていました。
とはいっても、エコーのときは立ち会えるとのことで、入り口のガラス越しに見える廊下の椅子にパパさんたちは待機している状況でした。
大きい病院なので、産科の中の椅子にはたくさんの妊婦さんたちが座っていて、
私も最初は他の妊婦さんたちと同じように一人で座って待っていました。
でも一人でいるとなぜか不安が込み上げて、
さらに、周りの妊婦さんはみんな元気な子どもたちがお腹にいるんだと思うと
悲しくて悔しくて、涙がぽろぽろと勝手に出てきてしまうので、
パパさんたちが待つ産科の外の椅子で、
呼ばれたらギリギリ聞こえるかな、くらいの端っこに
主人と座ることにしました。
主人の肩にもたれかかって自分のお腹を撫でることですごく落ち着いたのを覚えています。
《双胎間輸血症候群》
名前を呼ばれて、処置室に入ると何人もの先生と看護師さんがいました。
「さっそくエコーで診てみますね」
と言われ、お腹をだすと、
「んー、この週数にしてはお腹が大き過ぎますよね。
大きいなあ、と思いませんでしたか」
と言われたけれど、
双子の妊娠は初めてだったのでこんなもんかと思ってました、と答えました。
そこからは先生同士が、難しい言葉で何やら作戦会議みたいな会話をしていて、
私と隣にいた主人は全く分からず、双胎間輸血症候群で間違いないのかどうかを
早く教えて欲しいと、なにか言われるのを待っていました。
ただ、先生方の会話でお腹をあちこち触りながら
こっち側からこういう向きで〜とか、
そっち側からアプローチした方が〜などと話していたので
レーザー治療する際の話をしていることは理解できてしまいました。
この時初めて、双胎間輸血症候群を発症していることを確信しました。
その後の先生の説明は
「双胎間輸血症候群にはステージ1〜4まである。
今はまだステージ1の状態なので、レーザーをするタイミングではではない。
今日から入院して、一番良いタイミングで治療しましょう。
それに、稀ですが自然と治ってしまう方もいるんですよ。」
私は色んな説明を受けて、この最後の”稀に自然と治ってしまう方もいるんですよ”という言葉に強く勇気をもらいました。
そうだ、ちゃんと入院して大人しくしていればお腹の子2人とも助けられるんだ!
だって助けてもらうために、この病院に来たんだもん。
入院していれば、自然と治ってくれるような気がする!
根拠はないけれど、いつだって前向きに生きてきた私は
このときもポジティブ全開でした。
その後の入院手続きや、さまざまな検査もノリノリで受け、
車椅子に乗せられて病院内を移動している時は、アトラクションみたいだね!なんて主人と写真を撮っていたほど。
その後も、私を一人で病院に残して帰ることにとても心配していた主人に対し
「大丈夫だよ!絶対!なんか私、治療無しで自然治癒する気がするもん!」と
逆に励ましていました。
主人が帰ってからは両親や、義両親に
「必ずお腹の子2人とも助けて家に帰ります!^^」と意気込みをLINEして
その日は寝ることにしました。
まさか翌日お腹の子たちを取り出されるなんて、この時は1ミリも想像していませんでした。