【入院記録】NICU編(3)

今日はNICU編の続きです。

出生からの三日間について振り返っていきたいと思います^^


生後三日間の記憶なし

いざブログの記事にしていこうと当時記録していたノートを出してみても、Renに関することはほどんど記録していませんでした。

そこに書かれていたものは先に生まれて亡くなったお姉ちゃんに対する想いばかり。

あの時こうしていれば助けてあげられたかもしれない、という後悔の気持ち。

本当はもっともっとRenについて記録しておけば、とは思いますが、正直この時はこれでよかったのだとも思います。

一人の子を失った悲しみで、ただ泣くことしかできなかった自分には、Renの状態までを考えられる気持ちの余裕は無かったからです。

もちろん新生児科の先生から容態を聞いてはいましたが、とにかく最初の三日間が大事だということだけ理解して、あとはRenの生命力と先生方を信じていました。

なので参考になるようなことは書けませんが、唯一記録していたこととしては、綿棒に母乳を染み込ませてお口に入れてあげたと書いてありました。

まだまだ小さく、皮膚も出来上がっていない胎児のような姿でも、ちゃんとその綿棒を吸ってくれて感動したことは鮮明に覚えています^^


我が子に触れられない

何度も言われていた、生後三日間(72時間)の壁は何事もなく過ごしてくれました。

別の記事で細かく書いた「最初の壁」と言われていたことの中でも、一番心配していた脳出血も起こさずにいてくれました。

この時は私もまだ入院中だったので、1日に何度かNICUへ連れてってもらって様子を見ていましたが、保育器の中にいる自分の子を触れられないことが辛かったです。

正しくは、触れる勇気がない、触れるのが怖いという表現の方が近いのかもしれません。

看護師さんに、「触ってあげてください^^」と言われても、なかなか手を入れることはできずにいました。

少し触れただけでもすぐに壊れてしまいそうな小さい小さいからだ、ただ見ていることしかできなかったです。

でもお母さんの声は分かるんですよと看護師さんに言われたので、保育器の外から「ママだよ!」と声はかけていました。

この時は「がんばれ〜!」という言葉はあまりにも酷だと感じていたので、あえて口にしていませんでした。


5Sサイズのおむつ

見たこともないほど小さい5sというサイズのおむつをしてもらっていました。

ちょうど手のひらサイズくらいです。

当時はへその緒から点滴が入っていたので、おむつのテープをしっかり止めることはせず、ただ当ててるだけの状態でしたがおしっこもしっかり出していてくれました。

私はおむつのサイズがアップしていくことが嬉しく、変更になる度に看護師さんにお願いして一つだけもらって帰っていました^^

いま家にあるミニサイズのおむつたちは大切なものBOXに保管しています。


保育器は湿度90%以上

初めて保育器の中を覗いた時にびっくりしたことの一つは、保育器の中が湿度でビショビショだったことです。

なるべくお腹の中に近い環境を作るために90%以上の湿度で管理していました。

湿度90%以上なので、もう水滴が保育器についていてハッキリ言って子どもはよく見えません。

こんなにビショビショで大丈夫なのかなと心配になるほどでした。

ただこの湿度も数日かけてゆっくり下げてもらい、60%まで下げられたら体拭きができますよと言われていました。


目はありますか?

これは実際に先生に聞いたことです。「この子に目はありますか?」

この時期のRenには、見て確認できる目がありませんでした。

何ていうか、お顔がツルンっとしていて目があるようには見えなかったのです。

管が入っているお鼻とお口はわかるので、だいたいこの位置に目があるよなあと分かってはいても、まぶたの線も無かったのです。

数日かけてだんだんとまぶたの線のようなものが見れた時は、安心しました。

この線が見れただけでも嬉しかったので、初めて目が開いた時や声が聞けた時は嬉しいなんてもんじゃなかったです!!^^

いま振り返ると、この目があるのかどうかを心配していた頃が懐かしいです(笑)


まとめ

思いの外長く書いてしまったので、今日はこの辺にしておきます。

最初の三日間なんて、記憶がなくて当たり前ですよね。

まずこの現実を受け入れることすらできていない時期ですから。

自分を責めず、我が子と先生を信じて、ただ時間が過ぎてくれるのを待つしかない、それでいい。

前向きになるとか、全然そんなのは後でいいし、ママはとりあえず周りの人に寄りかかって生きていれば100点だと私は思います^^

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA